汚屋敷生まれ、汚部屋育ち。

汚部屋脱却を目指し、むらさきが奮闘するブログ。

家計簿未経験者がお金の管理を始めてみた。

社会人になってもう7年目。

毎月ほぼ一定のお給料というものを手にするようになって6年半以上経ったことになる。

 

が、しかし。

わたしはこれまで家計簿というものをつけてこなかった。

何にいくら使ったのか分からないし、どんぶり勘定さえしてこなかった。

モノの管理がテキトーなやつは、カネの管理もテキトーなのである。

 

そんな生活をしていたせいか、さすがに貯金はゼロではないものの、3歳下の妹に言わせると「わたしより社会人歴3年も長いのに貯金そんなに少ないの⁉︎」というほどらしい。

まぁ、妹はそもそも倹約家でお金を育てて増やすためのリサーチも惜しまない性格のようだし、一人暮らしのわたしと実家暮らしの妹で住環境による固定費も異なるのだが、それにしても彼女にしてみるとわたしの貯金額は少ないようだ。

一応ネットで見かける同世代の平均くらいは持っているつもりなのだが。

 

ただ、ナントカいうわたしにはよくわからない各種資産運用と思われる単語を口にしながら「総資産が○円超えた!」喜んでいる妹を目にしていると、単なる普通預金しかしていないわたしは、さすがにこんな状況ではまずいかなとちょうど1年前くらいから思い始め、2021年の途中からつみたてNISAを始め、つい数ヶ月前から出費記録をつけ始めるようになった。

小学生の頃、親に無理やりつけさせられていたおこづかい帳以来だ。

ただし、初心者なのでハードルは低く、分類ごとの出費合計金額の計算はせず、ただ記録して月ごとの出費をただひたすら足し算するのみにとどめる。

 

妹のおすすめはZaimという家計簿アプリを使用して資産を管理していくことだったのだが、自分がどんなお金の使い方をしているのかよく分かっていないのでどれだけ多くの入力をしなければならないのか読めず不安だったうえ、数年前に流行りに乗って(?)Zaimに手を出してみたもののアプリ自体の使い方がよくわからなくて挫折したわたしには、そこから始めるにはハードルが高く感じられ、アナログでノートに記録を残していくことにした。

特に頭を悩ませたのはクレジットカードでの支払い。

カードで支払いを済ませたタイミング(ノートへの記録のタイミング)と、銀行口座から落ちるタイミングが違うので、どう記録していくか迷った。

以前Zaimで挫折したのもこのポイントだった。

少し頭を使い、現金での支払いはノートに直接記録するのに対し、カードでの支払いに関しては、罫線入りの付箋を用意して、カードの種類ごとに分けたうえで対象期間と引き落とし日をメモし、その期間にあったカードでの支払い内容を書きためてから、最終的に引き落とし日の月に移動させてノートと合流させるやり方だ。

これで一旦わたしの頭の中は整理されることとなり、○月にどんな内容の買い物をし、それが△月に引き落とされ、結果△月に銀行口座から出ていった総額が□円だ、と一件落着。

 

こうして記録すること2ヶ月ほど。

どうもカード支払いを含めていくと月々の手取り給料と同じか、それ以上に出費が多いことが分かってきた。

道理でボーナスが出てもなんだかじわじわと目減りしていたように感じたわけだ…。(感じただけでなく実際そうだったのだから当然だ。)

 

とりあえず分類ごとの出費は計算していないものの、アナログなノートの記録をパラパラとめくるだけで何にお金を使いがちなのかはぼんやりとではあるが掴めてくる。

わたしの場合、多趣味が災いして、各方面の細々とした出費がチリツモで大きめの金額となっていた模様。

生きていくのに楽しみは必要なのであまり削りたくないものの、趣味の一つである観劇に関しては遠征を見直すことも必要だと感じた。

また食料品に紛れて、お菓子・お酒・おつまみといった「必要」ではないものにもお金を使っているようだった。

太るというデメリットもあるので、こちらは抑える努力をしてみる。

よく買いがちなサラダチキンも、コンビニで買うのではなく、簡単な調理でいいのでスーパーで鶏むね肉を買って食べるよう置き換える。

 

そんなこんなで新年を迎え、これを機にZaimも始めてみた。

まだ2週間しか経っていないのでこれから挫折するおそれも充分孕んでいるためノートの記録は今も続けているが、以前よりもきちんとアプリの使い方を調べたし、その成果もあり各種連携機能の助けも得られているので、苦手意識はなくなった…とまではいかないものの確実に小さくなった。

 

こうしてお金の管理を始めてみると、無駄遣いをやめようという気になってくる。

それに伴い、家に入ってくるモノの数も減り、以前よりは厳選されたモノがお買い得なタイミングで入るようになってきた。

 

「お買い得」に惑わされて余計なモノを買ってしまうおそれはあるものの、そこを少し冷静になってくぐり抜けられれば、お金の管理は汚部屋の住人に効果的なように感じた。

 

今後は金銭的なムダを減らすことのほか、家の中にある「持っているだけムダ」なモノを物理的に処分することも同時に行っていきたい所存である。

歳をとったと感じたおはなし

小さい頃、花が好きじゃなかった。

…というほどでもなかったかもしれないけど、嫌いな花が多かった。

実家は庭が広くて、その庭を飾り立てるためのガーデニングには興味があったから親や祖母にたくさん指図しながら庭を作っていた自覚はあった。 外から見たら花が好きな子供だったかもしれない。

でも、実は嫌いな花が多いからこそ、自分の家の庭に植えるものにこだわりがでてきたのかもしれない。 好きなものだけで庭を埋めたかった。 嫌いな花はいらない。

私が好きだったのは、丸いプランターで寄せ植えを作ること。 カラフルだけどなんとなく色合いがいい感じで、高低差があるから手前の花から奥の花まできちんと見えて、バランスも取れている。 時にはスタンドを使ってプランター自体を浮かせて、アイビーかなにかツタっぽいものを手前に植えて、プランターから垂れ下がる形にするのは特に好きだった。

一方で、好きじゃない花は、チューリップ、ツツジ、紫陽花。 他にもあった気がするけど、パッと思い浮かばない。

チューリップは、今考えるとなんだかよく分からないけど、なんとなく子供っぽいイメージを抱いていた覚えがある。 幼稚園の名札のせい? あとはあのすぼまった形も派手さに欠けると感じていた。 チューリップを絵に描くのも好きじゃなくて、私の描く絵に登場する花は、黄色い丸から5枚の花びらが出てるやつか、バラ。 バラの絵は下手だったからあんまり描いてないかもしれない。 …でもとにかく、子供のくせに「子供っぽい」という理由でチューリップが嫌いだった。

ツツジは、あの絶妙に蛍光っぽいピンク色が好きじゃなかった記憶がある。 ピンク自体は好きだったはずだけど、蛍光色は何色でも嫌だった。 今となってはツツジには白もあるし、ピンクと紫の間みたいな落ち着いた色もあるのを知っているけど、小さい頃は蛍光みたいなピンクのイメージしか頭になかった。 あと、子供だからこそ顔の高さがツツジと近くて、近くに寄るとうっすら香る、花なのに緑っぽいにおいが嫌だった。

そして紫陽花は、花というより葉っぱの進化系という認識が強かった。 房で考えれば丸くて、小さい花がたくさんついているんだけど、その小さい花一つひとつ単位で考えてしまっていたから、平らで可愛げのない花だと感じていた。 花の咲く時期のせいもあって、雨が降りがちで天気がどんよりしている中に青や紫の花が咲いていても、明るいイメージが持てなかった。 あとは、あの大きな葉に私の苦手なナメクジやカタツムリが付いているイメージも強く、近付くのさえも嫌だった。

そんな嫌いだった花たちでも、大人になってみると…というかつい最近なぜかよく目につくし、「綺麗だな〜」と思いながら眺めている自分に気付いた。

今と昔ではもちろん身長が伸びた分目線の高さ・見る角度が物理的に違うし、いろんなものを見てくる中で、1つの種類の花でも幼い頃は知らなかった色に出会ってイメージが変わったこともあると思う。 でも1番変わってしまったのは、私が普段見ている景色なんじゃないだろうか。

小さい頃は、たくさん絵を描いていたし、友達だって描いていたから、幼稚園や小学校でいろんな人が描いたいろんな色の使われた絵を眺めていたし、自分たちの使うものや着ているものの色も、とてもカラフルで明るい色使いのものが多かったんだと思う。 そんな中で、私が好きじゃなかった花たちは、形や色、イメージ、におい…どこか華やかさに欠けているように見えていたのではないか。

一方で、絵を描く仕事や趣味を持っていなければいろんな色を使って絵を描くこともないし、大人になればなるほど「無難」「悪目立ちしない」「落ち着き」を求めてしまって、服や身の回りの品はどんどん明るい色が減っていく。 久しぶりにピンクの服を買ったな〜と思っても、それは「くすみピンク」であって、色鉛筆やクレヨンの「ピンク」とは違う。 会社のオフィス什器は白だったりベージュだったりして、文具類もシンプルで大抵落ち着いた色合いで、単色かせいぜい2色くらいのもの。 パソコンは黒か銀色だし、そこに映し出されるものもベース背景は白か黒、目立たせたいところに必要最低限の色が登場するくらい。 オフィスにいる人だって、大多数が黒や紺のものを着ているし、明るい色のものを着ている人はそう多くない。

そんな大人になった私の世界では、街中で見かけるチューリップやツツジ、紫陽花は一隅を照らすような明るさを放っているように見えた。 通りがかりについつい目がいってしまうし、これらの花が道端に咲いている時期は、近所のスーパーに行くのさえも楽しみになる。

嫌いな種類の花たちが、大人になって「楽しみ」になるとは思っていなかった。 子供の頃は大人たちが「綺麗ね〜」とそれらを眺めていたのが理解できなかったが、今なら分かる。

花を眺めると気持ちも明るくなるし、部屋に花を飾りたいという気持ちも出てくる。

花を飾るには汚部屋を脱出しなければならないが…。

またしても

まだ梅雨は明けませんが、夏がやってきました。

…ということは、アイツらの季節がやってきてしまったということです。

アイツらとは…

コバエ!!!

昨年の夏を振り返る記事(https://murasaki-purple.hatenablog.com/entry/2019/09/08/061922)で書いたのですが、ついに今年もコバエが発生してしまいました。

自粛期間から自炊も継続しているのでコンスタントに生ゴミが発生する環境。 ヤツらにとっては格好の繁殖場所です。

そんな中、消防点検が迫ってきています。

私の家に他人が入ってくる数少ないイベントです。

いつもならこのタイミングで必ずゴミを捨てますが、コバエのこともあるので消防点検より一足早く、今夜一旦ゴミを捨てようと思います。 …と書かないと実行できない弱いハート^^;

またこの夏も戦っていくことになりそうです。

モノ持ちの良さと、愛着

私はほとんどの所持品に関して、モノ持ちがいいと胸を張って言える。

必要に駆られて買うものだとしても、複数の商品を比較した中で気に入ったものを買い、使っているので、当然愛着を持って使用しているため長く使えるのである。

その中でも代表はズバリ、傘である。

傘といえばビニール傘から高級傘までピンキリだが、比較的簡単に手に入り、また常時携行・使用するものでもない(雨が降っている時しか必要にならない)ため、多くの人が置き忘れを経験したことがあるだろう。

また、強風の日に使用し、壊してしまったことがある人も多いだろう。

しかし、私は1本の傘を10年間使い続けた経験がある。

中学入学の際、祖母に買ってもらった5000円の傘。 デザインも可愛らしく、相当気に入っていた。 どちらかといえば高級傘に分類されるため、ある程度強度もあった。

そのため、私は傘を使うのが楽しみだったし、電車などに置き忘れるだなんて言語道断。 強風の日は出来るだけ傘に変な負担がかからないように差し方に注意した。

その傘を使っていく中、大学卒業頃には大雨の日だと傘のてっぺんの部分から伝い漏れをするようになっていた。 普通の雨なら大丈夫だったが、大雨で耐えきれなくなるのはさすがに寿命だろうと使用を諦めた。 10年間分の雨を受け止めてくれた相棒の傘には本当に感謝したし、今でも実家に予備傘として置いてある。

そして就職した際、今度は父に傘を買ってもらった。 某ブランドの傘である。 予算は先代の傘と同じ5000円を想定していたのだが、デザインが相当可愛くてその傘しかもう目に入ってこないほどであったため、1万円のその傘を手にした。 形も柄も、本当に気に入っていた。

やはり値の張る傘だけあって、強度はかなりのものだった。 社会人になれば当然飲み会も学生時代より多く、酔って帰る際には傘を忘れる人も多いと思うが、私は忘れなかった。

…と書くのは大袈裟で、本当は数回置き忘れたこともあったが(帰りに雨が止んでいた時)、翌朝気付いてお店に連絡を入れ、すぐに回収に向かっていた。

そんな中、事件は起こった。

ある飲み会の日、お店の傘立てに置いて席に着いた。 その時点で実は少しだけ嫌な予感を感じてはいたのだが、私の傘には少し特徴的な部分があるため、そんな予感が的中することもないと感じてそのまま傘立てに置くことにしたのである。

数時間の飲食を経てお店を出ようとした時、入店時の予感が的中。 私の傘が傘立てになかったのである。

そして残っていたのは私が入店した時にすでに置いてあった他人の傘。

2つの共通点は「持ち手が黒い」というところだった。 しかしメインの布部分は色が全然違うし、実は私の傘は持ち手が少しゴテゴテしているので持った時の感覚でわかると思うのだが…。

まぁ、酔っ払った人が取り違えたのであろう。 私は仕方なくその日は店に事情を伝えた上でその傘を差して帰り、後日店に返しに行った。 シラフに戻った取り違えた相手が気付いて、私の傘も返ってくるのでは、と期待をして店に私の傘の情報や見つかった時の連絡先を伝えてはいたのだが、3年ほど経った今でも店から連絡は来ていない。 「傘ごときで大袈裟な」と思う人もいるかもしれないが、念のため警察にも届け出ておいたが見つからなかった。

万が一取り違えではなく、ブランド傘を狙った中古転売のための盗難だった場合も考え、しばらくの間はオークションサイトやフリマサイトもチェックしていたが見つからなかった。

取り違えた相手がそのまま使っている可能性もあるため、その飲み屋のある街とその周辺では雨の日に道ゆく人の傘に目を配っていたが見つからなかった。

就職を記念して父に買ってもらった大好きな傘だったが、私の元に返ってくることはなかった。

しかも先代の傘に比べれば2年半という短い使用期間だったため、本当に悲しかった。

後日、仕方なく私は同じブランドの少しだけ柄が似た傘を買ったが、なくなってしまった方の傘ほどは気にいることができていない。

でもその傘も使い始めてもう3年くらい経っている。 時が愛着を生み出してくれてはいるので、このままできる限り長く使っていきたいと思うし、もう飲み屋の傘立てに大事な傘は置かないと心に誓った。

今週のお題「傘」

魔窟に手を出してみた

元通り、とまではいかないものの、鬱々と家にこもるだけの日々が終わり、私も先日仕事を再開することができました。

でもまだ出勤のペースは以前より落ちて、今は最後のおうち時間…ならず、汚部屋時間を過ごしています。

そんな中、この週末は雨で出かける気にもなれないというところで、今までの自粛期間に少し掃除をしてすぐリバウンドで散らかって…を繰り返してきた我が家の中でも、手強さから全く触れていなかった魔窟に手を出してみました。

テレビ台とベッドの間、どちらかというとベッド寄り。

山積みのダンボールのふもとに溜まっていたモノたちを上から順に持ち上げてみる。

最初はメルカリ用の梱包資材。 これは定期的に使っている物なので一番上にあっただけ。

その下からは、引き出物のお皿が箱ごと。 よくもまぁこんな不安定な山の上に置いていたものです…。 ひとまずキッチンに移動させましたがまだ最終的な収納場所は確定していません。

上から3層目は、書類がざくざく。 書類とはいっても、あまり重要ではないDMだったり、随分前の勤務カレンダーだったり。 そういったものが、上や下や横から色々なものに押された結果とんでもない姿になって発掘されました。 ぐしゃぐしゃ。 「何年モノ?」と聞きたいくらいですが、引っ越してきた時期も考えると意外と最長2年。

会社の研修でもらった書類なんかも出てきましたが、今となっては見ない、しかも元データをまたプリントアウトできると分かったので基本全部捨てます。

その次はブランドバッグを購入した時の箱。 バッグ自体は今も第一線で活躍してくれているのですが、あまり使わなくなった時用にとっておきます。

ちらほらと書類をはさんだ下からは、以前使っていた仕事バッグ。 本当はわりと思い入れのあるバッグのはずなのですが、とてもかわいそうな状態に…。 ちょっと避難させますが、今後リペアするかしないか不明。

最後はまた書類。 一番下にあるだけあって、平らでした。 でも、床に直置きなだけあって、ホコリやなんやらでザラザラしていました。 我ながら汚い…。

途中、ポータブルCDプレイヤーも出てきました。

以上、魔窟の中身です。

結局避難させただけで片付けていないものがあったり、まだ魔窟の隅の方は書類が積まれていたりするので、まだ片付けは終わっていません。

しかしまだ終わっていないものって、残すか捨てるか迷ったからor残すにしてもしまい場所がないものたちなので、先が思いやられます。

今後に期待!

「おうち時間」ならず「汚部屋時間」

新型コロナウイルスの感染拡大で世間がざわついている今日この頃、私の仕事も自宅待機となりました。 つまり家にいる時間が長くなったということです。

自宅待機が始まった最初の頃は、目覚まし時計をかけずに好きなだけ寝て、お腹が空いたらご飯を食べて、昼寝もできて、またご飯を食べてお酒を飲んで寝る…というような悠々自適、堕落してはいるけれども自由な時間を過ごしていました。

しかし私の部屋は汚部屋です。

居心地が悪いと言ったらこの上ない。

いわゆる「おうち時間」が増えたのに、それが快適ではない。 汚屋敷生まれ、汚部屋育ちの私でも、さすがに改善したくなってきました。

もちろん、こんなにたっぷり時間が取れるのも今くらいしかないですし。

以前読んだ片付け本をやる気の再燃のために目を通しつつ、少しずつ手を入れていっています。

まずはキッチンとトイレ・洗濯機置き場・お風呂の間にある廊下的スペースに落ちていたものを拾って捨てました。 宅配便の不在票、届いてちらっと見ただけのハガキ・未開封のままのDM、コンビニで買い物して中身だけ取り出したビニール袋とお箸やスプーン、残り少ない中身なのに立体のまま置いてある通販のダンボール…。 ほとんどがゴミでした。

私自身での認識では、私の部屋は汚部屋ではあるけれどもゴミ屋敷ではないと思っていたので、なかなかの衝撃でした。

また、キッチンにもすすいだ後の空き缶やペットボトルがいくつも。 そして浴室入口横に立てかけてあるテーブルは、壁との間に折りたたんだダンボールが大量に。

これらも全て捨てました。

いわゆるゴミ屋敷のドロドロネチョネチョしたものや虫は出てきませんでしたが、立派なゴミ屋敷だったんだなぁと痛感し、今は出たゴミはなるべく早く捨てるように心がけています。 (自宅待機期間が終わってもこの習慣が続くといいなぁ…。)

おかげで少しだけスッキリして、床の可視面積が増えました。

少しですけど。

もうしばらく自宅待機が続くので、片付けを進めていきたい所存です。

お題「#おうち時間

ベッドの半分

前回の記事で片付けに対する意欲が上がったように見えたのですが、それも束の間。

あっという間にモチベーションは元通り。

いま不便さを感じているとすれば、ベッドの半分をモノが占めているところ。

ベッドは本来、シングルベッドなのであれば人間が1人寝るためのスペースのはず。

それなのに、私のベッドはシングルベッドの半分に私が寄って寝て、もう半分は服や化粧品やリモコンやドライヤー、その他小物が占領しています。

明らかに寝ている場所が偏っているので、もしかしたらベッドのスプリングの劣化度合いが左右で大きく違うことになっているかもしれません。

この現状、とても寝にくいので、まずなんとかしたい場所の1つ。

睡眠の質が良くない原因でもあると思うのです。

睡眠が変われば生活全体も変わりそうな気がしているので、明日から早速手を入れていきたいと思います。

あと、可愛いシーツや布団カバーも買ってあるんです。

綺麗な部屋を生み出して、可愛くカスタマイズしていきたい。